横浜地方裁判所 平成6年(行ウ)40号 判決 1998年2月25日
埼玉県坂戸市石井二八九八―一三―三三二
原告
吉野和子
右訴訟代理人弁護士
江口公一
横浜市緑区市ヶ尾町二二番地三
被告
緑税務署長 赤池三男
右指定代理人
加島康宏
同
井上良太
同
市川登美雄
同
菅野勝雄
同
須川光芳
同
光吉正博
同
林裕之
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
被告が、原告のした平成二年七月七日付けの原告の平成元年分所得税の更正の請求に対し、平成三年一一月二六日付けでした更正をすべき理由がない旨の通知処分を取り消す。
第二事案の概要
本件は、原告が、原告の平成元年分所得税の確定申告書(以下「本件確定申告書」という。)を別紙確定申告書の内訳記載のとおり記載して提出した後、右確定申告に係る別紙物件目録記載の土地及び建物(以下「本件不動産」という。)の譲渡所得金額の算出について、右譲渡は保証債務を履行するためにしたもので、主債務者は無資力であり求償権を行使して債権を回収することは不可能であるから、所得税法(以下「法」という。)六四条二項(以下「本件特例」という。)に規定する事由が生じたとして、被告に対し、国税通則法(以下「通則法」という。)二三条一項に基づき、平成二年七月七日付けで更正の請求(以下「本件更正請求」という。)をしたのに対し、被告が、平成三年一一月六日付けで更正をすべき理由がない旨の通知処分(以下「本件通知処分」という。)をしたことについて、原告が、本件通知処分には、本件特例を適用しなかった違法があるとして、その取消しを求めたものである。
一 争いのない事実等(末尾に証拠等の記載がないものは、当事者間に争いがない。)
1 当事者等
(一) 原告の内縁の夫大森初太郎(以下「初太郎」という。)は、釣具の製造、販売を業とする株式会社大森製作所(以下「大森製作所」という。)を経営していたが、昭和五七年ころ病を得て倒れ、昭和六一年一一月一八日、初太郎と原告との間の子大森秀樹(以下「秀樹」という。)が同社の代表取締役に就任した。(甲第三号証、証人大森秀樹の証言、原告本人尋問の結果、弁論の全趣旨)
(二) その後、秀樹は、大森製作所の海外貿易部門を独立させるため、昭和六二年オー・エム・アール株式会社(以下「オー・エム・アール」という。)を設立し、同社の代表取締役に就任した。(証人大森秀樹の証言、原告本人の尋問の結果、弁論の全趣旨)
2 原告の物上保証等
原告は、大森製作所が株式会社三井銀行(現株式会社さくら銀行)ときわ台支店(以下単に「三井銀行ときわ台支店」などという。)から運転資金を借り入れるに際し、本件不動産に、債務者を大森製作所、根抵当権者を三井銀行ときわ台支店とする極度額七〇〇〇万円の根抵当権を設定し、また、オー・エム・アールが埼玉信販株式会社(以下「埼玉信販」という。)から運転資金を借り入れるに際し、その連帯保証人になるとともに、本件不動産に、債務者をオー・エム・アール、根抵当権者を埼玉信販とする極度額七〇〇〇万円の根抵当権を設定した。
3 本件不動産の譲渡等
原告は、平成元年六月二二日、本件不動産を田中信益に一億四二六八万五〇〇〇円で譲渡し、同日、右譲渡代金全額を受領した。
4 原告の本件確定申告書の提出
原告は、平成二年三月一二日、被告に対し、本件不動産の譲渡所得金額について、本件特例の適用がないという前提でこれを算出し、別紙確定申告書の内訳記載のとおりの確定申告書(本件確定申告書)を提出し、そこに本件特例の適用を受ける旨その他大蔵省令で定める事項の記載をしなかった。
5 本件更正請求
原告は、その後、本件不動産譲渡による所得は、前記の物上保証債務ないし連帯保証債務を履行するため自己の所有していた本件不動産を売却したことにより生じたもので、主債務者である大森製作所及びオー・エム・アールは無資力であり原告が求償権を行使した債権を回収することは不可能であるから、原告の平成元年分の譲渡所得金額の算出に当たっては、本件特例を適用して計算すべきであるとして、被告に対し、平成二年七月七日付けで更正請求(本件更正請求)をした。
6 本件通知処分
被告は、本件更正請求に対し、本件不動産の譲渡所得金額の算出においては本件特例の適用はなく、更正をすべき理由はないとして、原告に対し、平成三年一一月二六日付けでその旨通知処分(本件通知処分)をした。
7 原告の不服申立等
原告は、本件通知処分を不服として、被告に対し、平成四年一月一八日異議申立てをしたが、被告は、平成四年五月二〇日右申立てを棄却した。原告は、右決定を不服として、平成六年六月二二日国税不服審判所長に対し審査請求をしたが、国税不服審判所長は、同月三〇日付けで棄却する旨の裁決をし、右裁決書謄本は、同年七月八日原告に送達された。
二 争点と双方の主張
本件の争点は、本件通知処分に違法があるかどうかであり、具体的には、原告が譲渡した本件不動産の譲渡所得金額の算出において、本件特例の適用があるか否かである。これについての双方の主張は、以下のとおりである。
1 原告の主張
原告が譲渡した本件不動産の譲渡所得金額の算出においては、以下の理由により、本件特例が適用されるべきであり、これを適用しなかった本件通知処分は違法である。
(一) 実体要件の具備
不動産の譲渡所得金額の算出に当たり、本件特例の適用があるというためには、まず、保証債務を履行するため不動産を譲渡した場合で、その履行に伴う求償権の全部又は一部を行使することができなくなったという実体要件を具備しているのでなければならない。しかるところ、原告は、大森製作所の三井銀行ときわ台支店に対する債務及びオー・エム・アールの埼玉信販に対する保証債務を履行するため本件不動産を譲渡し、かつ、その履行に伴う求償権の一部を行使することができなくなったものであるから、右にいう実体要件を具備している。すなわち、原告は、平成元年ころ、埼玉信販から、オー・エム・アールの借入金債務についてした連帯保証債務を履行するよう再三請求を受け、やむなく本件不動産を売却してオー・エム・アールの債務の弁済に充てることにしたが、前記のとおり、当時本件不動産には三井銀行ときわ台支店も担保権を設定していたため、埼玉信販への返済と同時に三井銀行ときわ台支店へも返済することにした。その結果、原告は、大森製作所及びオー・エム・アールに対し、求償権を取得したが、その後両社が事実上倒産するなどしたため、平成元年一二月には右求償権を行使することが不可能となった。したがって、原告は、本件特例の適用を受けるための要件の一つである実体要件を具備している。
被告は、原告が実体要件を具備していないと主張し、その理由として、本件譲渡代金のうち、七〇〇〇万円は大森製作所の預金口座に振り込まれた後三井銀行ときわ台支店に、六八二一万五〇〇〇円はオー・エム・アールの預金口座に振り込まれた後埼玉信販にそれぞれ債務の弁済として支払われたから、本件譲渡代金は、大森製作所及びオー・エム・アールに貸し付けられたものであり、直接保証債務等の支払に充てられたものではないと主張する。しかし、本件譲渡代金が、右のような方法で振り込まれたのは、三井銀行ときわ台支店及び埼玉信販からの要請により形式上ないしは便宜上、そのようにされたにすぎず、実際には、本件不動産の譲渡代金は、直接原告から三井銀行ときわ台支店ないしは埼玉信販に対し代位弁済されたものである。
また、被告は、右に際し、原告と大森製作所との間に七二六八万五〇〇〇円について、また、原告とオー・エム・アールとの間に七〇〇〇万円について、それぞれ債務弁済契約公正証書(以下合わせて「本件公正証書」という。)が作成され、そこに原告と大森製作所との間に七二六八万五〇〇〇円の金銭消費貸借及び原告とオー・エム・アールとの間に七〇〇〇万円の金銭消費貸借が成立した旨記載されているとして、原告は、本件譲渡代金を代位弁済したのではなく、大森製作所に対し七二六八万五〇〇〇円を、オー・エム・アールに対し七〇〇〇万円をそれぞれ貸し付け、両社はこれを原資として、三井銀行ときわ台支店及び埼玉信販に対し、前記の債務を弁済したものであると主張する。しかし、原告はもちろんのこと、秀樹においても、原告への返済を確保する内容の公正証書が作成されればよいと考えており、川越公証役場の事務担当者にもその旨説明して、公正証書の作成を依頼したところ、右担当者が本件公正証書に記載されたような内容及び形式の文案を作成し、これを公証人がまとめて本件公正証書にしたものであって、実際に原告と大森製作所及びオー・エム・アールとの間に、本件公正証書に記載されたような金銭消費貸借が成立したものではない。
さらに、被告は、原告が大森製作所及びオー・エム・アールに対し、いずれも「請求書」と題する平成元年一二月二五日付け内容証明郵便を送付し、両社に本件公正証書に記載されたような貸付金があることを確認するとともに、本件公正証書の約定に従い返済するよう催告し、その後も両社に同内容の内容証明郵便を平成二年一月六日付け、同年二月六日付け、同年三月八日付け及び同月二三日付けでも送付したとして、これらの内容証明郵便による請求及びその後の訴えの提起が、いずれも求償金請求ではなく貸金請求として行われたことをもって、原告が、大森製作所及びオー・エム・アールに対し、貸金債権を有していた旨認識していたと主張する。しかし、このように原告が貸金として両社に内容証明郵便を送付し、あるいは訴えの提起をしたのは、原告が前記の公正証書等を持参して弁護士に相談し、その弁護士が主としてこれらの書類をもとに内容証明郵便を作成し、あるいは訴状を作成し訴訟提起したことによるものであり、右弁護士は、原告の持参した前記書類をもとに貸金請求であると独断したか、あるいは、原告の説明により、実際は求償金請求であるとの認識を持ったものの、求償金として請求するよりは公正証書の存在する貸金請求として請求する方が確実であると判断してそのようにしたからにほかならず、必ずしも原告の真意に基づくものではない。
(二) 法六四条四項にいう「やむを得ない事情」の存在
不動産の譲渡所得金額の算出に際し、本件特例の適用があるというためには、さらに手続要件として、確定申告書に、本件特例を受ける旨の記載及び所定自事項を記載しなければならないとされているところ(法六四条三項)、原告は、前記のとおり、本件確定申告書に、本件特例の適用を受ける旨の記載をしなかった。しかし、これは原告が、平成二年二月二一日、本件特例の適用について緑税務署に赴き、確定申告について相談した際、税務署の担当者から、本件特例の適用を否定されたが、その説明に納得しなかったところ、まず本件特例の適用を受けない額で確定申告をし、その後督促状が届いた段階で税務署の二階(原告は、そこに何課があるのかも知らなかった。)に行き、本件特例の適用について相談を受けるよう指導され、これに従ったことによるのであり、税について全く素人の原告は、税務署の担当者からそのように言われ、それに従ったものである。しかし、本件特例の適用があるかどうかの判断は、債権の性質に関する実体判断であって、もとより税務署の相談担当者がなし得るものではない。被告所部係官としては、原告が譲渡代金による弁済であると説明し、本件特例の適用を求めているのであるから、弁済時の事情について詳しく聴取し、さらにその他の書類についても十分確認した上でその有無を判断し、その結果を原告に説明すべきであったといえるし、相談者が本件特例の適用の機会を逸しないよう、その手続(時間的制限等)や書類作成の方法についても、説明等すべきであった。しかるに、原告の相談に当たった担当者は、このような調査、説明等をしなかったばかりか、本件特例の適用がない額で申告するよう、本件確定申告書に所得金額等を記入したため、原告は、本件確定申告書に、本件特例を受ける旨所定の事項の記載をしなかったのである。このように、原告が手続要件を充足できなかったのは、もっぱら被告の責めによるものであるから、このような場合、確定申告書に本件特例の適用を受ける旨の記載がないからといって、形式的に本件特例の適用を認めないというのは不合理であり、原告には、本件確定申告書に本件特例の適用を受ける旨の記載をしなかったことについて、法六四条四項にいう「やむを得ない事情」があるというべきである。
2 被告の主張
原告の右主張はいずれも争う。本件においては、以下に述べるとおり、本件特例が適用されるための前提要件である実体要件と手続要件のいずれもが具備されていない。したがって、本件通知処分に原告の主張するような違法はない。
(一) 実体要件の欠缺
原告は、大森製作所の三井銀行ときわ台支店に対する債務につき物上保証人となり、また、オー・エム・アールの埼玉信販に対する債務の連帯保証人兼物上保証人になっていたが、以下のとおり、本件譲渡代金を主債務者である大森製作所及びオー・エム・アールに貸し付け、大森製作所及びオー・エム・アールは、右借入金を原資として自己の責任において自己の債務を弁済したものというべきであるから、原告の本件不動産の譲渡は、主債務者の資金運用の一環としてされたもので、保証債務の履行を余儀なくしてされたものとはいえない。
(1) 原告は、平成元年六月二二日、本件不動産を田中信益に対し一億四二六八万五〇〇〇円で売却する旨の本件売買契約を締結し、同日、田中信益から右譲渡代金を受け取った。そして、同日、原告から、大森製作所は七二六八万五〇〇〇円、オー・エム・アールは七〇〇〇万円をそれぞれ受領した。そして、大森製作所及びオー・エム・アールは、原告に対し、右各金額を受領したとする同日付けの領収証をそれぞれ発行した。
(2) 大森製作所は、右七二六八万五〇〇〇円につき、オー・エム・アールは右七〇〇〇万円につき、債務者である原告との間で、いずれも平成元年六月二二日付けの本件公正証書を作成した。本件公正証書第一条には、いずれも、右各金員は、平成元年六月二二日借入金返済のため原告から借り受けたものであるとの記載がある。
(3) 大森製作所は、原告から借り入れた右七二六八万五〇〇〇円のうち、六八二一万五〇〇〇円を平成元年六月二二日三井銀行成増支店から三井銀行ときわ台支店の大森製作所名義の当座預金口座に振込送金した。また、オー・エム・アールは、原告から借り入れた七〇〇〇万円を、同日三井銀行成増支店から小川信用金庫新河岸支店の埼玉信販名義の普通預金口座に振込送金した。
(4) 原告は、大森製作所及びオー・エム・アールに対し、右貸付金があることを確認するとともに、本件公正証書の約定に従い返済を滞らないよう記載した「請求書」と題する内容証明郵便を平成元年一二月二五日付けで送付した。また、原告は、大森製作所及びオー・エム・アールに対し、この「請求書」と題する内容証明郵便を、平成二年一月六日付け、同年二月六日付け、同年三月八日付け及び同月二三日付けで送付した。
(5) 原告は、大森製作所及びオー・エム・アールに対し、右貸付金の残額(大森製作所につき三五八〇万円、オー・エム・アールにつき六七〇〇万円)の支払を求める訴えを平成二年四月二〇日付けで東京地方裁判所に提起した。右訴えの提起に対し、大森製作所及びオー・エム・アールは、訴状記載の請求原因事実を争わなかったため、平成二年七月一三日原告勝訴の判決が言い渡され、右判決は確定した。
(6) 大森製作所が平成二年三月七日に川越税務署長に提出した平成元年四月一日から平成二年一月一〇日までの解散事業年度に係る法人税の確定申告書の「借入金及び支払利息の内訳書」には、平成二年一月一〇日現在、原告からの借入金残高は三五八〇万円である旨記載され、また、オー・エム・アールが平成二年四月三日に板橋税務署長に提出した昭和六四年一月一日から平成元年一二月三一日までの事業年度に係る法人税の確定申告書の「勘定科目内訳明細書」には、平成元年一二月三一日現在、原告からの借入金残高は六七〇〇万円である旨記載されていた。
(7) 大森製作所の平成元年六月二一日現在における三井銀行ときわ台支店からの借入金残高等の状況は別表1のとおりであったところ、同社は、右日付現在における借入金残高三口合計一億六五七七万円のうち、平成四年九月三〇日返済期限の借入金五一八〇万円を平成元年六月二二日に大森製作所の当座預金から一括返済し、これにより生じた戻り利息六万四七一四円を受領した。また、オー・エム・アールの平成元年六月二一日現在における埼玉信販からの借入金残高等の状況は別表2のとおりであったところ、同社は、右日付現在における借入金残高五口合計九三八二万七〇〇〇円のうち、平成元年六月八日返済期限及び平成元年六月二五日返済期限の借入金合計六四〇〇万円を平成元年六月二二日に前記の振込送金により完済するとともに、平成二年一二月二二日返済期限の借入金一四〇〇万円の一部六六六万四〇〇〇円(ただし、このうち六六万四〇〇〇円は返済により生じた戻り利息の一部を充当したもの)を返済し、別表3のとおり振替伝票を起票し会計処理を行った。
(二) 手続要件の欠缺
原告は、右のように、本件特例の適用を受けるための実体要件を欠いているが、仮にこの点をさておいても、手続要件を欠いている。すなわち、原告は、平成二年二月二一日緑税務署に赴いた際、被告所部係官に対し、本件不動産は、大森製作所及びオー・エム・アールの借入金の担保に供されており、右両社の借入金の返済のために本件不動産を譲渡したものであるから本件特例の適用を認めてほしい旨申し立てた。したがって、原告は、その主張を前提にしても、本件確定申告書を提出する以前の段階において、本件特例適用の実体要件が具備していると判断していたといえるから、主債務者の大森製作所及びオー・エム・アールに対し求償権の行使ができない旨の認識を有していたものである。右のような原告の認識は、本件確定申告書の提出期限内において、主債務者に対する求償権の行使がすでにできない状態であるという認識のほかならないから、その認識どおりの事実があったとすれば、本件特例の適用を受けるためには、確定申告書のその旨の記載をする必要があり(法六四条三項)、また、それが可能であった。ところが、原告は、本件確定申告書にそのような記載をしなかったから、原告は、本件特例の適用について、手続要件を具備しなかったといわなければならない。
原告は、このような手続要件を具備しなかったのは、被告所部係官が、本件について、本件特例の適用がないとの判断の下に、原告に対し、本件特例の適用を受けるためには確定申告書にその旨を記載しなければならないとの説明をしなかったからであるなどとして、原告が、本件確定申告書に、本件特例の適用を受ける旨の記載をしなかったことについては、法六四条四項にいう「やむを得ない事由」があると主張する。しかし、申告相談において、相談を受けた係官が納税者の提示した資料からすでに本件特例を適用する余地がないと判断できるのであれば、通常は、その余の手続要件を説明する必要はないというべきである。したがって、右相談において、右手続要件に関する説明がされなかったとしても、担当係官に落ち度があったとはいえない。また、原告は、税務署の担当者が右のような実体判断をすることは許されないとも主張するが、税務署の担当者としては、課税を行う前提として、当該債権債務がいかなる経緯に基づいて発生したものであるかを検討し、それに基づく判断を示すことは可能というべきである。そもそも、被告所部係官は、行政上のサービスとして、原告の申告相談に応じたものであり、それ自体は強制的なものでも、また、公権的な効果が生じるものでもないから、被告所部係官が、このような相談において、原告に対し、本件不動産譲渡について本件特例の適用はない旨の判断を示し、これを前提として確定申告書の提出を促したとしても、もとより許容された行為といえる。以上のとおり、原告が、本件確定申告書に本件特例の適用を受ける旨の記載をしなかったことについては、法六四条四項にいう「やむを得ない事由」があったということはできない。
第三当裁判所の判断
一 本件特例は、保証債務を履行するために資産を譲渡し、その譲渡により生じた収入をもって保証債務を履行した場合に、その履行に伴う求償権の全部又は一部が回収できないこととなったときは、経済的にはその分の所得はなかったものと同一視することができることから、このような場合の課税の特例的な減免を認めたものである。したがって、このような本件特例の趣旨に照らせば、本件特例に規定する「保証債務を履行するため資産の譲渡があった場合」とは、資産の譲渡が保証債務の履行を余儀なくされたために行われたものであり、資産の譲渡による収入と保証債務の履行との間に資産の譲渡による収入が保証債務の履行に充てられたとのけん連関係が認められ、かつ、保証債務の履行に伴う求償権の全部又は一部の行使ができないこととなった場合をいうと解すべきである。また、本件特例に規定する保証債務の「履行に伴う求償権の全部又は一部を行使することができないこととなったとき」とは、求償権の相手方である債務者について、事業の閉鎖や著しい債務超過の状態が相当期間長期にわたって継続し、事業再起の目途が立たないことその他これに準ずる事態が生じたことによって、求償権の全部又は一部の弁済が受けられないことが客観的に確実となった場合をいうと解すべきである。そして、本件特例が右のような趣旨に基づくものであることに鑑みれば、本件特例は、保証人が保証債務を履行するため資産の譲渡を余儀なくされた場合に限らず、物上保証人が債務を代位弁済するため資産を譲渡する場合も、その適用があるものと解するのが相当である。
また、本件特例の適用を受けるためには、右の実体要件を具備していることのほかに、手続要件として、確定申告書の提出期限までに法六四条二項に規定する事実が生じている場合には、確定申告書に同項の規定の適用を受ける旨その他大蔵省令で定める事項を記載することが必要であり(法六四条三項)、また、確定申告書の提出期限後において法六四条二項に規定する事実が生じた場合には、当該事実が生じた日の翌日から二か月以内に限り、通則法二三条一項の規定による更正の請求をすることが必要である(法一五二条)。
二1 そこで、まず、本件について、前記の実体要件を具備しているか否かについて検討するに、前記争いのない事実及び証拠(甲第三号証、乙第二号証、第三号証の一ないし四、第四ないし第一七号証、第二三号証、第二四、二五号証の各一、二、第二六号証、第二七号証の一、二、証人大森秀樹の証言、原告本人尋問の結果、弁論の全趣旨)によれば、以下の事実が認められる。
(一) 原告の内縁の夫初太郎は、釣具の製造、販売の業とする大森製作所を経営していたが、昭和五七年ころ病を得て倒れ、その後は秀樹が同社の経営に参画するようになり、昭和六一年一一月一八日には代表取締役に就任した。そして、秀樹は、大森製作所の海外貿易部門を独立させるため、昭和六二年オー・エム・アールを設立し、同社の代表取締役にも就任した。
(二) 大森製作所は、昭和六一年秋ころ、取引先の商社シェイクスピア日本株式会社が事実上倒産し、同社に対する約二億円の手形債券が焦げ付くなどしたことから資金繰りが悪化し、三井銀行ときわ台支店から緊急の追加融資を受けるとともに、新たに株式会社ジージーエスからも二八〇〇万円の経営資金の融資を受けることになった。原告は、その際、秀樹から、株式会社ジージーエスのため、本件不動産に譲渡担保を設定することを依頼され、本件不動産が親から相続した不動産であったため躊躇したが、秀樹が、株式会社ジージーエスからの借入れはごく短期間で、万一の場合は自社工場の土地建物を売却すれば一〇億円になるというので、やむなくこれに応じた。
(三) その後、大森製作所は、川越市の自社工場の土地建物を売却して負債を整理することにし、昭和六二年三月、工場及びその敷地を八億円余りで川越市に売却し、三井銀行ときわ台支店や他社からの借入れをすべて返済した。そして、大森製作所は、オー・エム・アールとともに、残った資金を利用して、韓国において、韓国の会社との合併による工場を建設して営業を継続し、しばらくしてこの工場での生産が軌道に乗り出したことから、昭和六二年九月三〇日、三井銀行ときわ台支店から、信用保証協会の保証付きで運転資金七〇〇〇万円を借り入れ、これを担保するため、原告の了解を得て、本件不動産に、債務者を大森製作所、根抵当権者を三井銀行ときわ台支店とする極度額七〇〇〇万円の根抵当権を設定した。また、オー・エム・アールも、昭和六三年三月一六日、埼玉信販から運転資金三三〇〇万円を借り入れ、原告の了解を得て、原告に連帯保証人になってもらうとともに、本件不動産に、債務者をオー・エム・アール、根抵当権者を埼玉信販とする極度額三三〇〇万円の根抵当権を設定し、同年一二月二二日には追加融資を受けて、極度額を七〇〇〇万円に変更した。原告は、これら担保権の設定ないし変更のつど、秀樹から、会社の経営状態が良くなったと聞かされてそれを信用し、大森製作所やオー・エム・アールの債権者への返済が滞るとは考えていなかった。
(四) ところが、その後、大森製作所及びオー・エム・アールの経営状態は必ずしも好転せず、原告は、平成元年になって、埼玉信販から、オー・エム・アールの借入金債務を直接支払ってほしいと再三催促されるようになった。そこで、原告は、秀樹に相談したところ、オー・エム・アールが単独で支払うのは無理との返答であったため、やむなく本件不動産を売却して、オー・エム・アールの埼玉信販に対する借入金債務の返済に充てることにし、同時に本件不動産の売却代金で、大森製作所の三井銀行ときわ台支店に対する債務も返済することにした。原告は、前に秀樹から心配はいらないと言われていたのに、このような事態になり、秀樹に裏切られたような気持になったが、秀樹の話では、大森製作所とオー・エム・アールの負債が整理されれば、金利負担がなくなり、会社の経営が楽になるというので、後日大森製作所とオー・エム・アールが間違いなく返済してくれるものと考えていた。
(五) そこで、原告は、本件不動産の買主の選定、債務の返済等の処理を秀樹に一任した。そして、秀樹の依頼した不動産業者の松木相互株式会社の仲介により、本件不動産は、元の所有者である田中信益が一億四二六八万五〇〇〇円で買い受けることになった。秀樹は、本件不動産の買主である田中信益や担保権者である三井銀行ときわ台支店及び埼玉信販の担当者等と折衝した結果、売買契約の締結、売買代金の支払、借入金の返済、仲介手数料の支払、移転登記や抹消登記関係の書類の授受を平成元年六月二二日に司法書士事務所で一度に行うこととし、その際には、田中信益から売買代金一億四二六八万五〇〇〇円を支払先に応じて三通の小切手に分けて交付を受けて、このうち額面六八二一万五〇〇〇円の小切手は三井銀行ときわ台支店に対する債務の返済に、額面七〇〇〇万円の小切手はオー・エム・アールの埼玉信販に対する債務の返済に、額面四四七万円の小切手は原告の松木相互株式会社に対する仲介手数料の支払にそれぞれ充てることにした。秀樹は、このような折衝の中で、三井銀行ときわ台支店の担当者から、同店への返済は大森製作所の当座預金口座を通して行わないと信用保証協会の無担保融資が継続できなくなると言われ、また、埼玉信販の担当者からは、債務の返済はオー・エム・アールからの返済という形にしてほしいと言われ、これに従うことにした。そこで、秀樹は、借入金債務の返済の形態として、原告が本件不動産の売買代金として前記の小切手三通の交付を受けた後、額面六八二一万五〇〇〇円と額面四四七万円の小切手を大森製作所に、額面七〇〇〇万円の小切手をオー・エム・アールに交付し、大森製作所は右二通の小切手のうち額面六八二一万五〇〇〇円の小切手を現金化して三井銀行ときわ台支店への返済に充て、また、オー・エム・アールは額面七〇〇〇万円の小切手を現金化して埼玉信販への返済に充てるという形を取ることにし、あらかじめ、大森製作所が原告から七二六八万五〇〇〇円を受領し、また、オー・エム・アールが原告から七〇〇〇万円を受領したことを証する領収証二通を用意し、取引の日に備えた。
(六) そして、平成元年六月二二日、原告、田中信益、秀樹、松木相互株式会社の代表者田中八郎、三井銀行ときわ台支店の融資課担当者一名、埼玉信販の担当者二名が川越市の司法書士事務所に集まった。席上、田中信益から、いずれも三井銀行成増支店振出の額面七〇〇〇万円、額面六八二一万五〇〇〇円の小切手が秀樹に交付され、額面四四七万円の小切手が田中八郎に交付された。そして、それと引き換えに、原告から田中信益に対し、所有権移転登記に必要な書類が交付され、また、三井銀行ときわ台支店と埼玉信販の各担当者から原告に対し、担保権の抹消に必要な書類が渡された。そして、秀樹から原告に対し、大森製作所が七二六八万五〇〇〇円、オー・エム・アールが七〇〇〇万円をそれぞれ受領したことを証する前記の領収証が交付され、また、田中八郎から原告に対し、松木相互株式会社が仲介手数料四四七万円を受領したことを証したことを証する領収証が交付された。その後、秀樹は、直ちに三井銀行ときわ台支店の担当者及び埼玉信販の担当者とともに三井銀行成増支店に赴き、前記の額面六八二一万五〇〇〇円の小切手と額面七〇〇〇万円の小切手とを現金化し、このうち六八二一万五〇〇〇円を大森製作所名義で大森製作所の三井銀行ときわ台支店の当座預金口座に振り込む手続を取り、また、七〇〇〇万円をオー・エム・アール名義で埼玉信販の小川信用金庫新河岸支店の普通預金口座に振り込む手続を取った。そこで、三井銀行ときわ台支店は、同日、大森製作所の当座預金口座に振込入金された六八二一万五〇〇〇円のうち五一八〇万円を引き落とし、これを別表1のとおり、平成四年九月三〇日返済期限の借入金五一八〇万円の返済に充当し、これが期日前弁済になることにより生じた戻り利息六万四七一四円を大森製作所の三井銀行ときわ台支店の当座預金口座に振込入金した。また、埼玉信販は、オー・エム・アールが振込入金した七〇〇〇万円を、別表2のとおり、平成元年六月二二日、同社に対する貸付金残高五口合計九三八二万七〇〇〇円のうちの平成元年六月八日及び同年七月二八日返済期限の借入金合計六四〇〇万円に充当し、これが期日前返済となることにより生じた戻り利息六六万四〇〇〇円と、振込送金を受けた金員の残額六〇〇万円との合計額六六六万四〇〇〇円を、平成二年一二月二二日返済期限の借入金二〇〇〇万円(平成元年六月二一日現在の借入金残高は一五八二万七〇〇〇円)の一部返済に充当した。なお、これらの弁済等によって、平成元年六月二二日、本件不動産に設定されていた前記の各根抵当権の設定登記が同日解除を原因として抹消された。
(七) 秀樹は、右のような振込送金の手続を取った後、原告の許に戻ったところ、原告から、代払した分についてきちんと返済してくれるよう約束してほしい旨要求された。そこで、秀樹は、公正証書を作成して原告の要求に応えることにし、直ちに原告とともに川越公証役場に赴き、公証人に、本件不動産の売買契約書や前記の領収書等を示した上で、いずれも原告から、大森製作所が七二六八万五〇〇〇円、オー・エム・アールが七〇〇〇万円をそれぞれ借り受けたこと、原告に対し大森製作所及びオー・エム・アールは右借受金と利息を分割返済していくこと、秀樹は大森製作所及びオー・エム・アールの右債務について連帯保証する旨約した旨説明し、これを内容とする公正証書の作成を依頼した。その結果、いずれも平成元年六月二二日付けの本件公正証書が作成された。このうち、大森製作所関係の本件公正証書には、<1>大森製作所は、平成元年六月二二日、原告に対し、七二六八万五〇〇〇円の債務を負担していることを承認する、<2>大森製作所は、原告に対し、右借受金の内金二〇〇〇万円を平成元年六月二二日限り支払い、残金五二六八万五〇〇〇円を及びその利息を平成元年七月から平成一一年六月まで毎月末日限り六三万九一七四円宛一二〇回の割賦で支払う、<3>利息は年八パーセント、遅延損害金は年一六パーセントの割合とする、<4>秀樹は、原告に対し、大森製作所が原告に対し負担する右債務を連帯保証することが記載された。また、オー・エム・アール関係の本件公正証書には、<1>オー・エム・アールは、平成元年六月二二日、原告に対し、七〇〇〇万円の債務を負担していることを承認する、<2>オー・エム・アールは、原告に対し、右借受金の元利合計金を平成元年六月から平成一一年五月まで毎月末日限り八四万四一二三円宛一二〇回の割賦で支払う、<3>利息は年八パーセント、遅延損害金は年一六パーセントの割合とする、<4>秀樹は、原告に対し、オー・エム・アールが原告に対し負担する右債務を連帯保証することが記載された。
(八) その後、原告は、大森製作所から月額五〇万円を四回にわたり(合計二〇〇万円)、また、オー・エム・アールから月額一〇〇万円を三回にわたり(合計三〇〇万円)それぞれ返済を受けたが、その後の支払がないため、前記公正証書等関係書類を持参して弁護士に相談したところ、とりあえず両社に内容証明郵便で公正証書の内容に基づいた請求書を送付しておいた方がよいと言われ、書面の内容等について指示を受けた上、大森製作所とオー・エム・アールに対し、「請求書」と題する平成元年一二月二五日付け内容証明郵便を送付した。原告は、その後も、両社に同様の「請求書」と題する平成二年一月六日付け、同年二月六日付け、同年三月八日付け及び同月二三日付け内容証明郵便を送付した。しかし、このような内容証明郵便を送付しても、大森製作所及びオー・エム・アールが返済しなかったため、原告は、大森製作所及びオー・エム・アールを被告として、平成二年四月二〇日付け訴状で、いずれも貸金を請求原因として(但し、弁済方法は、本件公正証書に記載されたものとは異なり、前記のような実際に返済された方法が記載されている。)、大森製作所に対しては残額三五八〇万円を、オー・エム・アールに対しては残額六七〇〇万円をそれぞれ支払うよう求める訴えを東京地方裁判所に提起した。これに対し、大森製作所及びオー・エム・アールは、原告の請求原因事実を争わなかったため、平成二年七月一三日原告勝訴の判決が言い渡され、右判決は確定した。しかし、その後も大森製作所及びオー・エム・アールからは返済がなかった。
(九) 大森製作所が平成二年三月七日に川越税務署長に提出した平成元年四月一日から平成二年一月一〇日までの解散事業年度に係る法人税の確定申告書の「借入金及び支払利息の内訳書」には、平成二年一月一〇日現在、原告からの借入金残高は三五八〇万円である旨記載され、また、オー・エム・アールが平成二年四月三日に板橋税務署長に提出した昭和六四年一月一日から平成元年一二月三一日までの事業年度に係る法人税の確定申告書の「勘定科目内訳明細書」の「負債之部」には、平成元年一二月三一日現在、原告からの借入金残高は六七〇〇万円である旨記載されていた。
以上のとおり認められ、証人大森秀樹の証言中、右認定に反する部分は前掲各証拠に照らしたやすく採用することができない。証人大森秀樹は、本件公正証書が作成された経緯につき、川越公証役場の事務担当者に、原告が土地を売却して銀行等の担保権者に大森製作所及びオー・エム・アールの債務を弁済したので、これにより大森製作所及びオー・エム・アールが原告に対して負担した債務を分割返済していくことを明らかにした書類を作ってほしいと話したところ、右事務担当者が本件公正証書のような内容及び形式の文案を作成し、これを基に公証人が本件公正証書を作成したものであるとして、右事務担当者には、本件公正証書に記載されているような大森製作所及びオー・エム・アールが原告から金員を借用したという話はしていないかのような証言をする。しかし、証拠(乙第一七号証、弁論の全趣旨)によれば、川越公証役場においては、公証人二名と書記二名とが職務に従事しているところ、書記は、手続面等に関し窓口相談に応ずることはあっても、公正証書の内容に関する具体的な相談や指導を行うことはなく、それらは公証人自身が行う扱いになっていることが認められること、また、本件公正証書の内容は、前記認定のとおり具体的かつ詳細であり、これらの記載内容は、当裁判所において証人大森秀樹が証言するように、大森製作所及びオー・エム・アールが原告に対して負担した債務を分割返済していくことを明らかにした書類を作ってほしいと説明しただけでは作成し切れない内容を含んでいること、さらに、本件公正証書は、前述したような大森製作所及びオー・エム・アール作成の領収証等の存在と矛盾するものではなく、むしろ、大森製作所及びオー・エム・アールの名義で同社らの債務が支払われたという前記認定の事実に沿うものといえること、また、秀樹が大森製作所及びオー・エム・アールの債務を連帯保証するなど、代払分を確実に返済してほしいとする原告の要求に沿うものであることなどからすると、本件公正証書は、秀樹が川越公証役場の公証人に右領収書等を示して当日の取引の内容を説明し、その希望する内容に従って公証人が作成したものであり、秀樹、ひいては原告の意思に基づくものと認められ、なお、その後の現実の返済や前記訴状に記載された弁済方法が右に従ったものではないことは、本件公正証書に記載された債務の性質を左右するものではないから、大森秀樹の前記証言部分はたやすく採用することができない。
2 前記認定の事実によれば、大森製作所が三井銀行ときわ台支店から運転資金を借り入れるに際し物上保証人となり、また、オー・エム・アールが埼玉信販から運転資金を借り入れるに際し連帯保証人兼物上保証人となった原告は、埼玉信販からオー・エム・アールの借入金債務を返済するよう要求され、やむなく本件不動産を売却してその代金をもってこれら債権者に対する債務の支払に充てることとしたが、平成元年六月二二日、本件不動産が田中信益に売却された際、譲渡代金一億四二六八万五〇〇〇円は三通の小切手で支払われ、このうちの額面六八二一万五〇〇〇円の小切手は大森製作所の三井銀行ときわ台支店に対する債務の支払のため、また、額面七〇〇〇万円の小切手はオー・エム・アールの埼玉信販に対する債務の支払のため、それぞれ両社の代表取締役である秀樹に交付され、さらに、大森製作所及びオー・エム・アールから、それぞれ右債権者に支払われた形式がとられていること、そして、同日、原告と大森製作所及びオー・エム・アールとの間で、大森製作所は七二六八万五〇〇〇円、オー・エム・アールは七〇〇〇万円をそれぞれ原告から借り受けたことを確認し、これに年八パーセントの割合による利息を付し、その元利金をいずれも一二〇回宛分割して原告に支払う内容の本件公正証書が作成され、後日、原告は、貸金としてその一部の支払を受けたり、その支払を請求していることなどを総合考慮すると、本件不動産の譲渡代金一億四二六八万五〇〇〇円は、いったん原告から、大森製作所に六八二一万五〇〇〇円、オー・エム・アールに七〇〇〇万円がそれぞれ貸し付けられた後、大森製作所及びオー・エム・アールにより、それぞれの債務の返済に充てられたものと認めるのが相当である。
原告は、大森製作所名義で三井銀行ときわ台支店へ、また、オー・エム・アール名義で埼玉信販へそれぞれ債務の弁済がされたのは、これら債権者からの要求により、形式上ないし便宜上そのようにしたにすぎないものであり、現実には原告がこれらの債権者に直接債務を代位弁済したもであると主張する。しかし、もし原告の主張するとおりであるとすれば、内部的には、すなわち、原告と大森製作所及びオー・エム・アールとの間では、原告の主張するような実質に従い、原告が三井銀行ときわ台支店及び埼玉信販に本件譲渡代金をもって代位弁済したことを前提として、両社から求償を受ける旨の書類等が取り交わされて然るべきであるのに、本件においては、前記認定のとおり、大森製作所及びオー・エム・アールの領収証が原告に交付され、さらには、原告と大森製作所及びオー・エム・アールとの間で、両社は原告から右領収証に見合う金額を借り入れたことを確認し、原告に対し、これによる元利金を分割返済し、秀樹はこれについて連帯保証する旨の本件公正証書が取り交わされているのであり、しかも、本件公正証書が作成された時期に係る大森製作所及びオー・エム・アールの法人税の確定申告書には、いずれもその内容どおりに両社が原告から借入金債務を負担した旨の記載がされているのであるから、単に形式上ないし便宜上、大森製作所及びオー・エム・アール名義で債務の支払がされたと見ることは困難といわなければならない。
原告は、本件公正証書は、川越公証役場の担当事務員が作成した文案に基づき作成されたものであり、実際に原告と大森製作所等との間に金銭消費貸借締結の合意があったわけではないと主張するが、本件公正証書が秀樹と原告の意思に基づいて作成されたと認められることは前述したとおりである。なお、大森製作所関係の領収証及び本件公正証書では、大森製作所は原告から六八二一万五〇〇〇円のほかに、不動産の仲介手数料四四七万円をも含めた合計七二六八万五〇〇〇円を受領し、あるいは、借り受けたことになっているが、これは、秀樹が、前記認定のような経緯で、原告所有の本件不動産を売却することによって大森製作所及びオー・エム・アールの債務を整理してもらったことから、本来は原告の負担すべき不動産の仲介手数料四四七万円を大森製作所が負担することにしたことによるものと推認され、格別不自然とはいえない。
さらに、原告は、前述の内容証明郵便による請求及び訴えの提起等をもって原告が本件を貸金と認識していたことの根拠とすることはできないと主張するが、前記認定の経過に照らして、理由がない。
3 そうすると、原告の本件不動産の譲渡は、原告の主観的な意図や認識はともかくとして、法的には、主債務者である大森製作所及びオー・エム・アールの資金運用のためにされたものというべきであり、保証債務の履行のためにされたものであるということはできないといわざるを得ない。よって、本件は、すでにその点において、本件特例の適用を受けるための実体要件を具備していないものといわなければならない。
三1 本件特例の適用を受けるためには、右のような実体要件のほかに、手続要件として、確定申告書の提出期限までに法六四条二項に規定する事実が生じている場合には、確定申告書に同項の規定の適用を受ける旨その他大蔵省令で定める事項を記載し(法六四条三項)、また、確定申告書の提出期限後において法六四条二項に規定する事実が生じた場合には、当該事実が生じた日の翌日から二か月以内に限り、通則法二三条一項の規定による更正の請求をすることが必要とされている(法一五二条)ところ、原告は、本件確定申告書に本件特例の適用を受ける旨の記載をしなかったことを認めながら、原告が法で要求されている記載をしなかったのは、税務署の担当職員がそれに必要な説明を怠ったからであるなどして、右の記載をしなかったことについては、法六四条四項にいう「やむを得ない事情」があると主張するので検討する。
前記の争いのない事実及び証拠(乙第一号証、第四、五号証、第一六号証、第一八号証、第一九号証の一ないし三、第二〇、二一号証、証人大菅敏明の証言、原告本人尋問の結果、弁論の全趣旨)によれば、以下の事実が認められる。
(一) 原告は、本件不動産を譲渡した平成元年中に、テレビで本件特例の存在を知り、資料を持参せずに、緑税務署に赴いて税務相談を行い、その点を確かめたところ、担当職員から、本件不動産の譲渡については、本件特例の適用が可能であろうとの助言を得た。
(二) 被告は、原告に対し、平成元年一二月二八日付けの往復葉書で、「譲渡所得の申告についてのお知らせ」と題する確定申告に関するアンケートを送付し、さらに、平成二年二月二日、原告の申告相談日時を同月二一日に予定している旨記載した「譲渡所得の申告相談日のご案内」と題する封筒に、確定申告に必要と認められる用紙を同封して送付した。
(三) 被告所部係官大菅敏明(以下「大菅係官」という。)は、平成二年二月二一日、本件不動産の譲渡に係る確定申告についての相談のため緑税務署に来署した原告と面談した。その際、原告は、大菅係官に対し本件不動産の譲渡に関する資料として、売買契約書、松木相互株式会社、大森製作所及びオー・エム・アールの原告宛の各領収証、本件公正証書等を提示し、本件不動産が秀樹の経営する大森製作所らの借入金担保に提供されていたこと、本件不動産には大森製作所らの借入金返済に充当するため譲渡したものであることを申し立てた。
(四) 大菅係官は、原告の提示した書類等に基づき、本件不動産の譲渡所得金額の算出に当たり、本件特例の適用が認められるか否かについて検討したところ、前記領収証は、平成元年六月二二日、原告から大森製作所に七二六八万五〇〇〇円、オー・エム・アールに七〇〇〇万円がそれぞれ支払われたことを意味していること、本件公正証書第一条第一項には、それぞれ大森製作所及びオー・エム・アールが原告から右領収証記載の金額を借り受けたことを確認する旨の記載があることから、原告の本件不動産の譲渡は、保証債務の履行のためにした譲渡とは認められないと判断し、原告に対し、本件不動産の譲渡に係る譲渡所得金額の算出に際しては、本件特例を適用することができない旨を説明した。そして、大菅係官は、本件不動産の譲渡に係る譲渡所得金額の算出に際しては本件特例を適用しない前提で、譲渡所得の金額等を算出して記入する原告作成名義の「譲渡内容についてのお尋ね」(乙第一号証)を作成し、原告の平成元年分所得税の確定申告書の用紙(乙第二〇号証)の二面に、右譲渡所得に関する所要の事項を記入し、原告に手交した。原告は、その日確定申告書を提出しなかったが、平成二年三月一二日、右確定申告書の用紙を使って、被告に本件確定申告書を提出した。なお、原告は、当時、本件不動産の譲渡に係る税金について、弁護士等にも相談していた。
(五) その後、原告は、原告の平成元年分の譲渡所得税の算出に当たっては本件特例を適用して計算すべきであるとして、被告に対し、平成二年七月七日付けで本件更正請求をした。これに対し、被告は、本件特例の適用はないとして、原告に対し、平成三年一一月二六日付けで本件通知処分をした。
以上のとおり認められ、原告本人尋問の結果中及び甲第三号証(原告本人の陳述書)中、右認定に反する部分は、前掲各証拠に照らしたやすく採用することができない。原告本人は、大菅係官の説明を納得しなかったところ、同係官から、一旦、本件確定申告書に従って申告し、後日、支払の督促を受けた段階で改めて本件特例の適用を求めるようにとの指示を受け、これに従ったかのような供述をするが、証人大菅敏明は、これを否定する証言をしていることや前記認定のような判断をしていた大菅係官が右のような指示をすることは考え難いこと、乙第二一号証の記載などに照らすと、右供述はにわかに採用することができない。
2 右認定の事実によれば、大菅係官は、原告の申告相談において、原告の持参した資料を基に本件不動産の譲渡所得金額の算出に本件特例の適用があるかどうかを調査検討し、その結果、本件特例の適用がないとの判断に達し、その旨を原告に説明し、それに沿った確定申告書の提出を促したものであるところ、右資料の内容や前記二で認定した事実に照らしても、右のような大菅係官の判断や、その執った措置に誤りがあったということはできない。原告は、大菅係官が権限がないのに実体判断をしたかのように主張し、また、大菅係官は、原告に対し、本件特例を受けるための手続要件を説明しなかったとしてこれを避難するけれども、このような申告相談において、担当の係官は、相談に応じた回答をすることができるといえるし、また、原告の持参した資料から本件特例の適用がないと判断した場合には、特段の事情のない限り、その旨を説明すれば足り、それ以上に、本件特例の適用を受けるための手続まで説明する必要はないというべきである。けだし、申告相談はあくまで行政サービスの一環として行われるものであり、確定申告をどのようにして行うかは、最終的に申告する者の判断に委ねられているのであるから、税務署の係官は、特段の事情がない限り、相談者が求める真意まで探索して、それについての税務手続等までを説明、教示しなければならない義務があるとはいえないからである。なお、前記認定の本件確定申告書提出に至る経緯及び大菅係官の説明を納得していなかったという原告の主張を前提とすれば、本件不動産の譲渡に係る所得税の確定申告に際し、本件特例の適用を前提とした譲渡所得金額の算出、記載が困難であったとはにわかに考え難いところである。したがって、いずれにせよ、本件において、結果的に、原告が大菅係官の説明に従って確定申告をし、本件確定申告書に本件適用を受ける旨の記載をしなかったとしても、これに法六四条四項にいう「やむを得ない事情」があるものということはできない。
3 そうすると、原告は、本件特例の適用を受けるための手続要件も具備していないといわざるを得ない。
三 結論
以上によれば、本件更正請求については更正をすべき理由がなく、また、原告の平成元年分所得税の総所得金額、分離課税の長期譲渡所得金額及び分離課税の短期譲渡所得金額並びに右各所得金額に基づいて算出される納付すべき税額は、別紙のとおり、原告の本件確定申告書に記載されている金額と同額度であるから、本件通知処分は適法であるというべきである。
よって、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 浅野正樹 裁判官 近藤壽邦 裁判官 近藤裕之)
(別紙)
確定申告の内訳
一 総所得金額 九一万〇七二五円
右金額は、公的年金等に係る雑所得の金額である。
二 分離課税の長期譲渡所得金額 九六〇九万八六二九円
右金額は、次の1の金額から2及び3の金額を控除した金額である。
1 譲渡収入金額 一億〇五七七万五九二〇円
右金額は、本件不動産の売買につき、原告と田中信益との間で平成元年六月二二日付けで締結された土地付建物売買契約書記載の売買価格一億四二六八万五〇〇〇円のうち、借地権に係る譲渡代金である。
2 必要経費 八六七万七二九一円
右金額は、前記借地権の取得費五二八万八七九六円及びその譲渡費用(仲介手数料等)三三八万八四九五円の合計額である。
3 特別控除額 一〇〇万円
右金額は、租税特別措置法(平成二年法律第一三号による改正前のもの。以下「措置法」という。)三一条四項所定の金額である。
三 分離課税の短期譲渡所得金額 一四四八万九四七五円
右金額は、次の1の金額から2の金額を控除した金額である。
1 譲渡収入金額 三六九〇万九〇八〇円
右金額は、本件不動産につき、原告と田中信益との間の本件売買契約書記載の譲渡代金のうち、底地に係る代金である。
2 必要経費 二二四一万九六〇五円
右金額は、前記底地の取得費二一二三万八一〇〇円及びその譲渡費用(仲介手数料等)一一八万一五〇五円の合計額である。
三 納付すべき税額 二七八一万二六〇〇円
右金額は、次の1、2及び3の税額の合計額二七八六万一七〇〇円から、4の税額を控除した金額(国税通則法一一九条一項の規定により一〇〇円未満の端数切り捨て後のもの)である。
1 総所得金額に対する税額 四万一六〇〇円
右金額は、所得税法八九条二項の規定に基づき、前記一の総所得金額九一万〇七二五円から所得控除の額の合計四九万三七八〇円を控除した残額である課税総所得金額四一万六〇〇〇円(国税通則法一一八条一項の規定により一〇〇〇円未満の端数を切り捨て)に同条一項に定める税率を乗じて計算した金額である。
2 分離課税の長期譲渡所得の金額に対する税額 二二〇二万四五〇〇円
右金額は、前記二の分離課税の長期譲渡所得の金額九六〇九万八六二九円につき、国税通則法一一八条一項の規定により一〇〇〇円未満の端数を切り捨てた課税長期譲渡所得金額の九六〇九万八〇〇〇円に、措置法三一条一項一号に定める税率を乗じて計算した金額である。
3 分離課税の短期譲渡所得の金額に対する税額 五七九万五六〇〇円
右金額は、前記三の分離課税の短期譲渡所得の金額一四四八万九四七五円につき、国税通則法一一八条一項の規定により一〇〇〇円未満の端数を切り捨てた課税短期譲渡所得金額一四四八万九〇〇〇円に、措置法三二条一項二号及び同法施行令二一条三項の規定に基づき計算した金額である。
4 源泉徴収税額 四万九〇六八円
右金額は、前記一の原告の公的年金等に係る源泉徴収税額である。
(別紙)
物件目録(但し、地目及び地積は現況)
一 所在 練馬区田柄二丁目
地番 六二八七番一四
地目 宅地
地積 一六九・二四平方メートル
二 所在 練馬区田柄二丁目
地番 六二八七番一五
地目 宅地
地積 二〇・〇五平方メートル
三 所在 練馬区田柄二丁目
地番 六二八七番一六
地目 宅地
地積 三・九六平方メートル
四 所在 練馬区田柄二丁目六二八一番地
家屋番号 一一二番
種類 居宅
構造 木造瓦葺平家建
別表1
大森製作所の三井銀行ときわ台支店への借入金返済状況
<省略>
別表2
オー・エム・アールの埼玉信販への借入金返済状況
<省略>
別表3
オー・エム・アールの平成元年6月22日に起票した振替伝票
<省略>